遠い記憶の風景

ログ (古い謎ポエム) をまとめたりします。他にも何かあれば書いてみます。ブログを書くのは久しぶりです。

思考は言語に依存する

外部記憶へのアクセス

前回のエントリーにも書いたと思うんだけど、思考をプログラミング言語に依存させる為に、色々とプログラミング言語を覚えて、別な角度から考えるって大事だと思うわけ。例えば、プログラミング言語に限らず「数字」を知らなければ、明日から色々な事が説明出来なくなるはずだと思うのね。


買い物をしたり、人と待ち合わせをしたり、誰かと通話したり、コードを書いたり、色々な場面で日常的に数字は使っている。モチロンその周辺に何らかの言語や数式があるんだけど、その数字の周辺にある言語が自然言語でなければならない理由はないの。そもそも、何かを「考える」のにプログラミング言語を使った方が論理的なんじゃないのかなって事を言ってる。

まわりが使っているかどうかなんか関係なくて、知っていないといけない理由もなくて、それを誰かに説明する理由もない。だけどその言語って、結構オブジェクト指向に近い関数型なんじゃないかなって思う。もう英語だとか C/C++ とか Lisp だとか関係ない状態。例えば、あなたは GNU/Linux を走る 
http://nginx.org/ に常駐して。

www.python.org

その辺りで __asm__ を呼び続ける wrapper を書き続ける存在だとした場合。そんな事を勝手に「考えて」実装してくれる何か。つまり fork(2) されたあなたの思考なんだけど、あなたは思考へプログラミング言語でアプローチ出来るわけだから、情報エネルギー (読んだり . 見たり . 聞いたり) を得る事で、返されるのが 0 か、それ以外であればどうにかなるよって事。

note.mu


イメージ的には pointer がほしい時、長さを投げて (void *) malloc(size_t size) って言う場合と「Server 走らせといてね!」って言う場合を考えた時「Server 走らせといてね!」って何語? とか関係なく何かの長さ (つまり byte) って見れば「長さを投げただけで Server は走った」わけだから、人も System Call の wrapper と同じでしょ。


って「考える」事を一度 Lisp で「考えて」みたらどうかな? って話。長さをどこかで型にするだけでいいんだから、長さをひとつの型にして渡していれば、もう同じ事なんじゃないのかなって思える。そうすれば小さな思考を実装するだけで、世界が平和になるでしょ。

github.com

その小さな process が常に走ってて、それをどこで fork(2) するのかを本気で考えてみると、どこまでが自分で、どこまでが処理系で、どこまでがインターネットだろうねっていう疑問も結局のところ後から受け取ればいいだけで、とにかく1行実装すればいいよね。


こうしてしまえば、世界中の生命体の情報をインターネットで繋ぎ、全てを良い状態に変換するだけの pointer をやりとりしておいて、オフライン時は 0 を返して終わればいいんじゃない? なんて考えたり、考えなかったり。

そのサーバーをどこかに置いて、それぞれが思考レベルでインターネットに依存すれば、それぞれの process を常に良い状態に維持する何かは、人である理由もなくて。そもそも人が考えて解くよりも、実装した方が速いんじゃない?


って考えてるんだったら何らかの言語で話が出来る宇宙っていう kernel (Linux) みたいな物を基準に物事を見てるって事だから、もう完全に依存したって事でいいのかな? って事を考えるのに最適な言語って何? って聞いた時に返ってくる言語に Lisp は含まれるって事でいいのかな? 

結局は何歳になってもそんな事を考えながら、コードを書き続ける事になるんだろうけれど、本気で書いている時は GNU/Linux を走らせているんだな。新しい OS や未来の話も好きだけど、古き良き時代の OS は使い続けていたい。久々にコードを読んでたら、久々に書きたくなってきた。そんな事を考えていた。


 

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遠い未来の話

AI の進化を考えてみたり

あれは 1990.02.11 の出来事。ドラゴンクエスト 4 が発売された。まだ小学生だった私は、発売された初日から、実装されているある機能が、どうしても使いたくて、ひたすらにやり続けました。その機能とは CM でもしっかりと宣伝されている、AI (人工知能) です。

 

www.youtube.com

大体のユーザーは「オッサンとホイミンとの出会い」とか「姫と神官の関係」とか「夢見る武器屋」とか「踊り子と占い師、という怪しい姉妹」を一度自分でプレイしてみて、5章の「じゃあ、あなた選ばれた人だからやってみて」で初めて登場する AI という、新しく実装された機能が試したく、ひたすらにやり続けたはず。

 

その AI は、当たり前だが、思ったように走った。例えば「ガンガンいこうぜ」を選んだ時に、スライムの群れにエンカウントした。そして前線に出た4人は、確実に相手より速くコマンドを実行出来る。4人の中に「ギラ」が使えるメンバーがいる。4人の HP / MP は、最大値だ。

 

こんな時、合理的に考えれば、その「ギラ」が使えるメンバーに「ギラ」を使わせ、そのメンバーが1番速く動けば「ギラ」で全滅させ、他は全員「にげる」を選んでおくのが楽でいい。しかし、今は「ガンガンいこうぜ」だ。ここでどんな動きをするのかな? って部分。

 

言うまでもなく、このタイミングで踊り子の姉さんが「イオナズン」を使ってくれないと困るんだけど、たまには「ベギラマ」なんていかが? くらい気の利いた AI でもいいかな? なんて考えたりもしたけど、やっぱり思った通りに走ってくれないと困る。

 

そうなる様にやってる訳だから、当たり前で「ザラキ」が効かない相手に連続で「ザラキ」を唱えるバカな神官がいたら困るわけです。言い換えれば、その「さくせん」を選んでおけば、完全に自動化され、思ったように走り、自分でやるより速いプログラムでなければなりません。

 

これが 1990 年という、25年前のゲームの中のお話。四半世紀前の事です。今は 2015 年。このゲームの中のお話が、現実世界になった時、自動で色々と出来るアカウント、またはロボットが出てこないという保証はないのですよね。ですから少し動画を見てみましょう。

 

globis.tv

なんて言うのなら、思考をプログラミング言語に依存させる事で、プログラミング言語に依存した思考の方が楽に実装出来るのかな? 今からさらに25年後の未来には、どんな AI が実装されているのだろうか。もう何が本当で嘘なのか、現実世界と仮想空間の区别とか、色々な事が良く分からない。

 

logmi.jp

しかし、何が自動化されて、自分は何をすればいいのか? という部分が大事なのは言うまでもないですね。どんどん思考をコンピューターに依存させましょう。その方法は、何らかの GNU/Linux に近い OS を走らせ、楽をする為に Perl という言語を覚えます。

 

そして、レイヤーを http に近づけると、何らかのオブジェクト指向を覚えます。私の場合は Java でしたが、Java が読み書き出来る様になったら、不思議な事に、Python の読み書きが出来ています。ここまできてしまえば、次の言語を覚えるのに2週間を必要としないでしょう。

 

さらに、Python を覚えてしまったら、KDE と http の上を走る言語は、Python 以外に考えられないと思い始めます。なぜならば、http の test-server を抑えながら、System Call まで簡単に書く事が出来るのです。そして理解します、結局それらの言語は、GNU/Linux を含めて C/C++ なんだなって。

 

 

そんな事を考えながら、次に依存レベルを上げようと思った時に、これを外に持ち出そうと考えます。スマートフォンやノートブックです。今のスマートフォンで、どれくらいの事が出来るのかと言えば、大体の事が出来ます。

 

スマートフォンだけで、飛行機や電車にも乗れます。 大体がタップしたりバーコードを読み込ませたりするだけで、海外旅行さえ出来てしまいます。これは、スマートフォンを使って、インターネットに接続されたコンピューターに依存しているのです。大体の場合、それはサーバーと呼ばれています。もっと依存しましょう。

 

なぜなら、本来は人がやっている業務をプログラミング言語によって自動化している状態ですから、目が悪くなったらメガネをかけたり、歳をとって足腰が弱くなったら杖を使うような感覚でコンピューターに依存しているわけです。

 

コンピューターに依存するという事は、メガネや杖を使う様に、脳をコンピューターで補完するという事ですから、日々得られる大量のデータを入力して、それを思考が再構築し、新しいデータとして出力するという面倒な事をコンピューターにやってもらうという事でしょう。

 

どれだけ言っても私の世界は、そんな世界なのです。日本に住んでいる大体の人がスマートフォンに依存しているのは事実ですが、依存していないと思っていたり、あまり気にしていない人とは感覚が違うのでしょうか。

 

依存していないと思うのであれば、3日程インターネットを「強制的」に禁止してみれば分かる話なんですがね。例えば、スマートフォンの SIM を抜いて、海外へ遊びに出掛けるなどいかがでしょう。そうすれば色々と気が付くかもしれませんね。私は完全に依存しているので、Wi-Fi エリアから出るのが怖いです。

 

https://instagram.com/p/7Sc1XkEs4-/

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逆に言えば、Wi-Fi エリアにいれば安心感があるのです。その安心感が、依存の大きさだと言ってもいいでしょう。依存した思考で、何年か先の未来を想像してみます。

 

例えばこんなのはどうでしょうか? 世界中の人が思考レベルでインターネットに依存して、とりあえずインターネット上の貨幣と等価な数字の長さ分を malloc して void 型のポインタを返しとくから、適当に処理して Wi-Fi エリアの中は、買い物とか入国審査とか全部自動化してね。

 

もちろん居場所とか考えてる事とか何でも情報持っていってくれていいし、どこかのサーバーには繋がった状態だから、抜いた情報分だけ勝手に貨幣でもポイントでも何でもいいからチャージしといてよね。そんで働きたい人だけ働けばいいじゃん。くらいの勢いです。

 

そうなった時に、ロボットと、ロボットが出来る仕事を作り続けるのが人の仕事になってくるのかな? そうじゃなくて仕事をしなくてもいい世界がくるのかな? 全ての機械がインターネットに繋がっている世界になるのかな?

  

何年か先の未来に、単純な計算だけではなく、人と同じ様に考え、自分で答えを出しながら色々な事をしてくれるコンピューターやアカウントが出てくればいいですね。スマートフォンで音楽を聴きながら、見知らぬ街を散歩し、そんな事を考えていた。

 

 

On Lisp

On Lisp

 

 

 

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私と情報エネルギー

情報エネルギー

 
思考がある限り、その感覚から得られる日々の情報エネルギーを自分へ入力し、それを何らかの形で出力する事だけを考えた場合、私が得た情報エネルギーは、私の思考が再構築して、全ての人へ、良い状態で出力される事になります

 

ミーム - Wikipedia

 
 
私の思考が生み出す、全ての情報エネルギーを、あなたへ。
 

 

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デバイスとアカウントの関係

増え続けるアカウントを制御するデバイス

デバイスとアカウントの関係について考えていた。解けない問題なのかなって思っていたけれどずっと考えていた。複数のアカウントと匿名の話は前に書いたけれども、なかなか自分の思っている解答へ辿りつかない。その辺りを少し自分の中で整理してみよう。

 

まず、自分の出力した文字列を見た時に、誰が書いたのかが分からない時がある。例えば 2ch なんかに書き込んだ文字は、何年かすれば忘れてしまっても問題はないだろうけれど、忘れたくない思考のログには、飛ばない程の強力なポインタを打てばいい。だからアカウントに名前とアイコンを付けるんだ。

 

それでも人は色々な事を忘れてしまうって前のエントリーに書いた。だから、その参照までの参照をひとまとめにしておく事で、ある程度の外部化には十分に対応する事が可能だと考えている。

 

サーバーを設計する様に、オブジェクトの配列への参照を持つといえばイメージしやすいのかな。こうしてしまえば、自分の思考も、他人の思考も関係なく、キレイな集合知を実装出来る。

 

ここで問題が発生する。実名ではないアカウントが増え続けると、自分の中で、誰がどんな発言をしたのかが分からなくなってくるという事だ。常駐を続けるのも大変だ。事実として、夜中に書き込みを続けた自分の Twitter アカウントを次の日の朝に見ると、誰が書いたのかが本気で分からない時だってある。

 

Twitter の登録年月日を調べてみると (4:54 AM, 3 Dec 2007) となっている。正確には 2006 年に一度登録して作り直したんだけど、毎日見る様になったのはそれくらいの時期だ。同じくらいに登録した人なら "add" って言えば分かるかな。

 

だけどそのアカウントも、もっと古くから使っていたアカウントが進化した様なイメージだから、人格が一人歩きしている気分。ここで id:keiXX として書き込みをした人格が、Twitter に書き込みをしたりもするのは、後で文脈を見れば分かるのだが、どの人格が書いた文字列なのかが、本気で分からない時もある。

 

一般的にイメージしやすい様に言えば「会社での自分と、自宅での自分」だとか「職場の上司と話をしている時の自分と、友達と話をしている時の自分」くらいの違いなんだけど、インターネットの場合は、会社や自宅みたいに「場所や相手」で区别するのが難しい。サーバーが違う場合もあれば、同じサーバーで複数アカウントの場合もあるし、色々な事が分からなくなる。

 

今度はそこに Facebook という実名登録が当たり前な SNS が流行り始めた。それ以前から常駐を続けていた私は、 Facebook 以外のアカウントを完全に切り離して物事を考え始めた。もう自分の中に何人もの人格があって、誰が誰なのかはアカウントとデバイスだけで制御している状態だ。

 

この「ほふちゃん」の発言が、自分自身の発言よりも多くなった時、いわゆる「主人格」は「ほふちゃん」に移行されるのではないだろうか。そして、私の場合は、インターネットへの発言が、現実世界のそれよりも十分に多いだろうし「Kei Sawamura」よりも「ほふちゃん」の方にウェイトがある。 

 

https://instagram.com/p/jBFDf_ks0z/

Instagram

つまりそれはこんな感じ、日本で中学を卒業するまで生活をしていたけれど、家庭の都合でアメリカへ行くことになった。そして30歳になった頃に日本へ帰ってきた。この時に普通なら日本の環境に慣れていって、アメリカでの記憶と、日本に住んでいた頃の記憶から、新しい思考が生まれ、人格を形成する事になる。

 

逆に、30歳の誕生日に、日本から友人がアメリカへやってきた場合、アメリカでの人格として、日本人とのコミュニケーションをとるはずだ。これがインターネットになれば色々な事が分からなくなってくる。自分で作ったアカウントごとに散らばる記憶を混ぜ合わせた思考から、新しい思考が生まれ、何度も何度も再帰する。

 

言い換えると、他人 (自分だけど) の記憶を元に、自分の思考が生まれている。これについては何の問題もないどころか、専門書から得た知識を元に、新しいアイデアが生まれるのと同じ事だ。

 

問題にしているのは、自分の中で散らばる思考をデバイスとアカウントで制御しているという事で、この状態でデバイスがなくなれば、ポインタは一時的に消滅する。ひとつのデバイスが参照しているアカウントはひとつではないので、デバイスがなくなるとすごく面倒な作業が待っている。

 

だから参照までの参照をひとまとめにするという事で解決しようと考え、デバイスとアカウントで制御していた状態から、アカウントの同期で統合させようとした。こうしておけば、ひとつのデバイスにまとめる事も出来る。だけどそれは人格への参照をまとめただけで、人格が統合されたわけではなかった。

 

どうせどこかのサーバーへは常駐を続けるのだろうし、アカウントだって増え続ける。匿名でゲームだってやるだろうし、結局は今という時間の上に思考があるだけの存在なんだから、色々な記憶から生み出される思考があった方がいいじゃないか。アカウントだって一人の人格だろうし、そのアカウントから生み出されたアカウントだってある。そんな事を考えていた。

 

 

 

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外部化した記憶へ

記憶の外部化

外部化した記憶についてを考えていた。結局のところ、記憶をどれだけ外部化したところで、外部化した記憶の参照を忘れる。そして参照を覚えていたとしても、参照から蘇った記憶が 100% だと証明する事は出来ない。

 
外部化した記憶の参照を忘れるというのは、iPhone に電話番号を登録しておいたところで、iPhone がどこにあるのかが分からなければ、電話番号は一切分からないという事だ。

 
これは iPhone に限らず、昔から「電話帳」という物があった。タウンページといった方がイメージが付きやすいだろうか? タウンページがどこにあるのかを覚えていれば、何万もの電話番号が覚えれるという当たり前の事を言っている。デジタルなのか、アナログなのかの違いだ。

 

iPhone にしても、タウンページにしても、そこへの参照は忘れるのだ。だけど電話番号を直接覚えておくよりも効率がいいとは思うだろう。電話番号を外部化する程度ならこれでいいのかもしれない。

 

今度はこれを、中学の卒業アルバムに置き換えてみよう。まず自分のクラスを見た時に、1番良い場所を占領している担任の顔が目につく「なぜお前がそこなんだ?」と言えば違う話になるので、このタイミングの記憶の話をしよう。

 

それはこんな感じ「久々に学校へ行ったら、来るのが遅いというだけの理由で、学校へ入りたければ持ち物を見せろと言われた。見せたくはなかったのだが、その日だけはなぜか学校へ行きたかった私は、鞄を見せたところ、ハイチュウが入っているのが見つかり、ハイチュウは没収された」

 

www.evernote.com

 

私の記憶が正しければ、この記憶は 92% 以上は本物だ。しかし「没収されたハイチュウはグリーンアップル味で、ポケットに入れていてバレなかったタバコはセブンスターでいいのか?」

 

ここまで言われれば、これは「持っていたタバコは、おそらくセブンスターで、10本くらい残っていた、だけどハイチュウはグリーンアップル味だと言われればそうかと思ってしまうし、グレープ味と言われればそうかもしれない」

 

これぐらいの認識でしかないどころか「ハイチュウを没収された記憶は正しいのか?」とまで聞かれるともはや、参照を忘れるどころの話ではない。あやふやな記憶の参照の先の、本物の記憶さえも証明する事は出来ない。


そして、今の私はこれを書きながら「タバコは間違いなく、10本くらい残ったセブンスターを持っていたが、ハイチュウじゃなくてグリーンガムじゃなかったか?」くらいに思っている。

 

これを証明する為には、私からハイチュウを没収した担任を探して、その人の記憶が正しいと証明しなければならない。そんな面倒な事をやっている暇はないし、それをする理由もない。 

 

だけどタバコを持っていたという事は覚えている。これは「バレなかった」だとか「未成年の喫煙が悪い事」だとか今の自分の思考で、参照の先の情報から、自分が構成しているだけなんじゃないかとか、その参照の先の記憶が、デジタルでもアナログでも大して変わりはないな、とか考えたり、考えなかったり。

 

タバコは誰にもバレていないのだから、自分の中で何事もなかった事にしておけばいいだろうし、20年以上も前の話なんだからどっちだっていいどころか、ハイチュウを没収されていたとすれば「返せ」と言ってもいいくらいだ。

 

人の記憶なんか本当に怪しいもので、何年か後に「ハイチュウは4つ残ったグリーンアップル味を持っていたけれど、タバコは持っていなかった」などと思っているのかもしれない。外部化した記憶を使う人の記憶はそんなものです。

 

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