遠い記憶の風景

ログ (古い謎ポエム) をまとめたりします。他にも何かあれば書いてみます。ブログを書くのは久しぶりです。

遠い未来の話

AI の進化を考えてみたり

あれは 1990.02.11 の出来事。ドラゴンクエスト 4 が発売された。まだ小学生だった私は、発売された初日から、実装されているある機能が、どうしても使いたくて、ひたすらにやり続けました。その機能とは CM でもしっかりと宣伝されている、AI (人工知能) です。

 

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大体のユーザーは「オッサンとホイミンとの出会い」とか「姫と神官の関係」とか「夢見る武器屋」とか「踊り子と占い師、という怪しい姉妹」を一度自分でプレイしてみて、5章の「じゃあ、あなた選ばれた人だからやってみて」で初めて登場する AI という、新しく実装された機能が試したく、ひたすらにやり続けたはず。

 

その AI は、当たり前だが、思ったように走った。例えば「ガンガンいこうぜ」を選んだ時に、スライムの群れにエンカウントした。そして前線に出た4人は、確実に相手より速くコマンドを実行出来る。4人の中に「ギラ」が使えるメンバーがいる。4人の HP / MP は、最大値だ。

 

こんな時、合理的に考えれば、その「ギラ」が使えるメンバーに「ギラ」を使わせ、そのメンバーが1番速く動けば「ギラ」で全滅させ、他は全員「にげる」を選んでおくのが楽でいい。しかし、今は「ガンガンいこうぜ」だ。ここでどんな動きをするのかな? って部分。

 

言うまでもなく、このタイミングで踊り子の姉さんが「イオナズン」を使ってくれないと困るんだけど、たまには「ベギラマ」なんていかが? くらい気の利いた AI でもいいかな? なんて考えたりもしたけど、やっぱり思った通りに走ってくれないと困る。

 

そうなる様にやってる訳だから、当たり前で「ザラキ」が効かない相手に連続で「ザラキ」を唱えるバカな神官がいたら困るわけです。言い換えれば、その「さくせん」を選んでおけば、完全に自動化され、思ったように走り、自分でやるより速いプログラムでなければなりません。

 

これが 1990 年という、25年前のゲームの中のお話。四半世紀前の事です。今は 2015 年。このゲームの中のお話が、現実世界になった時、自動で色々と出来るアカウント、またはロボットが出てこないという保証はないのですよね。ですから少し動画を見てみましょう。

 

globis.tv

なんて言うのなら、思考をプログラミング言語に依存させる事で、プログラミング言語に依存した思考の方が楽に実装出来るのかな? 今からさらに25年後の未来には、どんな AI が実装されているのだろうか。もう何が本当で嘘なのか、現実世界と仮想空間の区别とか、色々な事が良く分からない。

 

logmi.jp

しかし、何が自動化されて、自分は何をすればいいのか? という部分が大事なのは言うまでもないですね。どんどん思考をコンピューターに依存させましょう。その方法は、何らかの GNU/Linux に近い OS を走らせ、楽をする為に Perl という言語を覚えます。

 

そして、レイヤーを http に近づけると、何らかのオブジェクト指向を覚えます。私の場合は Java でしたが、Java が読み書き出来る様になったら、不思議な事に、Python の読み書きが出来ています。ここまできてしまえば、次の言語を覚えるのに2週間を必要としないでしょう。

 

さらに、Python を覚えてしまったら、KDE と http の上を走る言語は、Python 以外に考えられないと思い始めます。なぜならば、http の test-server を抑えながら、System Call まで簡単に書く事が出来るのです。そして理解します、結局それらの言語は、GNU/Linux を含めて C/C++ なんだなって。

 

 

そんな事を考えながら、次に依存レベルを上げようと思った時に、これを外に持ち出そうと考えます。スマートフォンやノートブックです。今のスマートフォンで、どれくらいの事が出来るのかと言えば、大体の事が出来ます。

 

スマートフォンだけで、飛行機や電車にも乗れます。 大体がタップしたりバーコードを読み込ませたりするだけで、海外旅行さえ出来てしまいます。これは、スマートフォンを使って、インターネットに接続されたコンピューターに依存しているのです。大体の場合、それはサーバーと呼ばれています。もっと依存しましょう。

 

なぜなら、本来は人がやっている業務をプログラミング言語によって自動化している状態ですから、目が悪くなったらメガネをかけたり、歳をとって足腰が弱くなったら杖を使うような感覚でコンピューターに依存しているわけです。

 

コンピューターに依存するという事は、メガネや杖を使う様に、脳をコンピューターで補完するという事ですから、日々得られる大量のデータを入力して、それを思考が再構築し、新しいデータとして出力するという面倒な事をコンピューターにやってもらうという事でしょう。

 

どれだけ言っても私の世界は、そんな世界なのです。日本に住んでいる大体の人がスマートフォンに依存しているのは事実ですが、依存していないと思っていたり、あまり気にしていない人とは感覚が違うのでしょうか。

 

依存していないと思うのであれば、3日程インターネットを「強制的」に禁止してみれば分かる話なんですがね。例えば、スマートフォンの SIM を抜いて、海外へ遊びに出掛けるなどいかがでしょう。そうすれば色々と気が付くかもしれませんね。私は完全に依存しているので、Wi-Fi エリアから出るのが怖いです。

 

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逆に言えば、Wi-Fi エリアにいれば安心感があるのです。その安心感が、依存の大きさだと言ってもいいでしょう。依存した思考で、何年か先の未来を想像してみます。

 

例えばこんなのはどうでしょうか? 世界中の人が思考レベルでインターネットに依存して、とりあえずインターネット上の貨幣と等価な数字の長さ分を malloc して void 型のポインタを返しとくから、適当に処理して Wi-Fi エリアの中は、買い物とか入国審査とか全部自動化してね。

 

もちろん居場所とか考えてる事とか何でも情報持っていってくれていいし、どこかのサーバーには繋がった状態だから、抜いた情報分だけ勝手に貨幣でもポイントでも何でもいいからチャージしといてよね。そんで働きたい人だけ働けばいいじゃん。くらいの勢いです。

 

そうなった時に、ロボットと、ロボットが出来る仕事を作り続けるのが人の仕事になってくるのかな? そうじゃなくて仕事をしなくてもいい世界がくるのかな? 全ての機械がインターネットに繋がっている世界になるのかな?

  

何年か先の未来に、単純な計算だけではなく、人と同じ様に考え、自分で答えを出しながら色々な事をしてくれるコンピューターやアカウントが出てくればいいですね。スマートフォンで音楽を聴きながら、見知らぬ街を散歩し、そんな事を考えていた。

 

 

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